「ととのう」。こんな言葉がよく聞かれるようになってきたのはここ数年のことだ。サウナに行ってリフレッシュし、全身の疲れがエネルギーに変わった完全な瞬間のことをサウナ愛好家はいつしか「ととのう」と呼ぶようになった。この記事では、古き日本の公衆浴場を振り返りながら、サウナブームへのリバイバルの鍵を探ってみる。

日本の公衆浴場の起源は「サウナ式」だった
サウナの発祥地はフィンランドである。しかし、日本の公衆浴場、つまり銭湯にはサウナが併設されているところが多い。遠く北欧でうまれたサウナが日本にあっという間に受け入れられ、日本式の公衆浴場に組み込まれていったのにはどうやら理由があるようだ。
それには、日本の公衆浴場の歴史がヒントになる。公衆浴場のはじまりは諸説あるが、興味深いのは6世紀の京都に仏教の布教のために作られたという湯屋。大きな寺院が仏教の教えを伝えるため、家に風呂を持たない市民に風呂をふるまったのだ。この当時の風呂は蒸し風呂、つまりサウナ式のもの。日本の公衆浴場の始まりは、サウナ式の蒸し風呂だったのだ。
公衆浴場が布教の道具ではなく、庶民の営みとなったのは江戸時代だ。当時はまだ家に風呂が整備されていない時代。公衆浴場である銭湯が始まり人気を博した。人気の秘訣は朝から晩までいつでも風呂に入れる手軽さと、価格の安さ。場所を江戸に移してもまた、この公衆浴場はサウナ式の蒸し風呂から始まった。
江戸時代後期になって現代のように湯に全身浸かる「据(すえ)風呂」が登場し、その文化は現代へ銭湯として受け継がれていく。現代になってもなお、各都道府県の条例で、施設の衛生基準や浴槽水の水質基準などが定められていることからも、公衆浴場が日本における重要な文化であることがわかるだろう。

銭湯への最注目、サウナへの熱視線
日本の大衆文化として、そして日本人のインフラとして町のいたるところに存在している公衆浴場だが、その存在は粛々と存在していて町の一部として受け入れられるようなものであり、ブームに左右されるようなものではなかったはずだ。変化が起こり始めたのは2010年代に入ってからである。
まず、銭湯への再注目だ。漫画『テルマエ・ロマエ』が定期連載になったのは2010年のこと。同じく公衆浴場文化を持っていたギリシャと日本の銭湯がつながるという素っ頓狂なアイディアの成功の影には、銭湯というノスタルジーを刺激する舞台設定があったはずだ。さらに、漫画の軸になっているのは日本の銭湯のクリエイティブに向けられる新鮮な眼差し。壁の富士山の絵、ケロリンの黄色い桶といった銭湯の風景画がアイコンになっていった。
同じ頃、サウナガイドの聖書とも呼ばれる漫画家タナカカツキによる『サ道』が出版された。2011年のことだ。また、これをきっかけに全国のサウナ愛好家がSNSでサウナの情報やその情熱を発信することで大きなうねりを生み出す。サウナの食べログ的なウェブサイト「サウナイキタイ」に寄せられる情報を頼りに全国のサウナを巡るサウナーたちが現れ、「ととのう」を合言葉にサウナ愛を布教していったのだ。
このように、2010年代に端を発した銭湯、サウナのブームが現在の公衆浴場の”RETRO REVIVAL”につながっているのは間違いないだろう。
ブームをリバイバルにまで押し上げた新しい公衆浴場の形
ここからは、サウナをはじめとする公衆浴場への”RETRO REVIVAL”の立役者を見ていく。
散在するサウナ愛好家たちをひとつにまとめたのは他でもない、情報だ。まずはサウナブームを点から線につなげたウェブサイト、「サウナイキタイ」。
全国のサウナを線でつなげたウェブサイト、サウナイキタイhttps://sauna-ikitai.com/
全国のサウナを検索するだけでなく、サウナに行った感想などの「サ活」を記録することもできる。特徴的なのは、CGMサイトにもかかわらずマーチの販売が充実していること。
サウナマットをモチーフにしたコースターやハンカチ、サウナで見かけるあのサイネージ。サウナの情報だけでなく、懐かしさをくすぐる”RETRO”をマーチに落とし込むことで、サウナをより特別で、どこか懐かしい体験に仕上げるだけでなく、そのレトロさをデザインし現代の形に蘇らせている。
“チル”い銭湯×クラフトビール、代々木上原「BathHaus」https://bathhaus.tokyo/
次に紹介するのは公衆浴場のレトロさはそのままに、クリーンにチルに化粧をして、クラフトビールが飲めるバーに生まれ変わったのが代々木上原の「BathHaus」。二種類のお風呂にはあのケロリン桶も健在。ひとっ風呂浴びたあとにゆったりクラフトビールを飲むことができる。
平安時代から続く公衆浴場文化に2020年代の感覚を組み合わせてみると不思議と相性がいいことに気づく。その違和感をつなぐデザインの力にも注目である。
コロナ禍で高まったサウナ×ローカルの魅力、REBUILD SAUNA
一般社団法人 日本サウナ・温冷浴総合研究所によれば、サウナ愛好家の数は2020年から2021年の間に500万人減っている。三密空間のサウナはコロナ禍と当然相性が悪かったのだ。しかし、サウナ愛好家の熱はその分減ったかといえばそうではない。コロナ禍は、地方のサウナへと目を向けさせるきっかけになったのだ。例えば、REBUILD SAUNA。

大分県豊後大野市尾平鉱山。googlemapで見てみると周りになにも建物がないほどの場所にこのサウナはある。本来捨てられるはずの廃材を使って建てられたフィンランド式サウナは収容人数10人ほど。大自然の中でサウナを楽しみ、山の空気で外気浴。水風呂には沢から引いた水がたっぷり。サウナから始まるムーブメントは、地方にも及んでいる。
“ひとっ風呂”はコミュニティへ
今は、風呂のついている家に住んでいる人がほとんどだろう。平安時代、江戸時代には家に風呂がないために公衆浴場が盛んだった。現代の公衆浴場の”RETRO REVIVAL”を見てみると、風呂がないから公衆浴場に行くのではなく、その体験を得て、そこで語らい、SNSでつながっていくコミュニティに変容していることがよくわかる。チルで、ローカルで、レトロ可愛い、そして、あの「ととのう」感覚。公衆浴場は、体だけでなく、心も満足する”ひとっ風呂”に姿を変えていたのだ。

「ととのう」。こんな言葉がよく聞かれるようになってきたのはここ数年のことだ。サウナに行ってリフレッシュし、全身の疲れがエネルギーに変わった完全な瞬間のことをサウナ愛好家はいつしか「ととのう」と呼ぶようになった。この記事では、古き日本の公衆浴場を振り返りながら、サウナブームへのリバイバルの鍵を探ってみる。
日本の公衆浴場の起源は「サウナ式」だった

サウナの発祥地はフィンランドである。しかし、日本の公衆浴場、つまり銭湯にはサウナが併設されているところが多い。遠く北欧でうまれたサウナが日本にあっという間に受け入れられ、日本式の公衆浴場に組み込まれていったのにはどうやら理由があるようだ。
それには、日本の公衆浴場の歴史がヒントになる。公衆浴場のはじまりは諸説あるが、興味深いのは6世紀の京都に仏教の布教のために作られたという湯屋。大きな寺院が仏教の教えを伝えるため、家に風呂を持たない市民に風呂をふるまったのだ。この当時の風呂は蒸し風呂、つまりサウナ式のもの。日本の公衆浴場の始まりは、サウナ式の蒸し風呂だったのだ。
公衆浴場が布教の道具ではなく、庶民の営みとなったのは江戸時代だ。当時はまだ家に風呂が整備されていない時代。公衆浴場である銭湯が始まり人気を博した。人気の秘訣は朝から晩までいつでも風呂に入れる手軽さと、価格の安さ。場所を江戸に移してもまた、この公衆浴場はサウナ式の蒸し風呂から始まった。
江戸時代後期になって現代のように湯に全身浸かる「据(すえ)風呂」が登場し、その文化は現代へ銭湯として受け継がれていく。現代になってもなお、各都道府県の条例で、施設の衛生基準や浴槽水の水質基準などが定められていることからも、公衆浴場が日本における重要な文化であることがわかるだろう。
銭湯への最注目、サウナへの熱視線

日本の大衆文化として、そして日本人のインフラとして町のいたるところに存在している公衆浴場だが、その存在は粛々と存在していて町の一部として受け入れられるようなものであり、ブームに左右されるようなものではなかったはずだ。変化が起こり始めたのは2010年代に入ってからである。
まず、銭湯への再注目だ。漫画『テルマエ・ロマエ』が定期連載になったのは2010年のこと。同じく公衆浴場文化を持っていたギリシャと日本の銭湯がつながるという素っ頓狂なアイディアの成功の影には、銭湯というノスタルジーを刺激する舞台設定があったはずだ。さらに、漫画の軸になっているのは日本の銭湯のクリエイティブに向けられる新鮮な眼差し。壁の富士山の絵、ケロリンの黄色い桶といった銭湯の風景画がアイコンになっていった。
同じ頃、サウナガイドの聖書とも呼ばれる漫画家タナカカツキによる『サ道』が出版された。2011年のことだ。また、これをきっかけに全国のサウナ愛好家がSNSでサウナの情報やその情熱を発信することで大きなうねりを生み出す。サウナの食べログ的なウェブサイト「サウナイキタイ」に寄せられる情報を頼りに全国のサウナを巡るサウナーたちが現れ、「ととのう」を合言葉にサウナ愛を布教していったのだ。
このように、2010年代に端を発した銭湯、サウナのブームが現在の公衆浴場の”RETRO REVIVAL”につながっているのは間違いないだろう。
ブームをリバイバルにまで押し上げた新しい公衆浴場の形
ここからは、サウナをはじめとする公衆浴場への”RETRO REVIVAL”の立役者を見ていく。
散在するサウナ愛好家たちをひとつにまとめたのは他でもない、情報だ。まずはサウナブームを点から線につなげたウェブサイト、「サウナイキタイ」。
全国のサウナを線でつなげたウェブサイト、サウナイキタイ
全国のサウナを検索するだけでなく、サウナに行った感想などの「サ活」を記録することもできる。特徴的なのは、CGMサイトにもかかわらずマーチの販売が充実していること。

引用元:https://sauna-ikitai.stores.jp/

サウナマットをモチーフにしたコースターやハンカチ、サウナで見かけるあのサイネージ。サウナの情報だけでなく、懐かしさをくすぐる”RETRO”をマーチに落とし込むことで、サウナをより特別で、どこか懐かしい体験に仕上げるだけでなく、そのレトロさをデザインし現代の形に蘇らせている。
“チル”い銭湯×クラフトビール、代々木上原「BathHaus」
次に紹介するのは公衆浴場のレトロさはそのままに、クリーンにチルに化粧をして、クラフトビールが飲めるバーに生まれ変わったのが代々木上原の「BathHaus」。二種類のお風呂にはあのケロリン桶も健在。ひとっ風呂浴びたあとにゆったりクラフトビールを飲むことができる。


平安時代から続く公衆浴場文化に2020年代の感覚を組み合わせてみると不思議と相性がいいことに気づく。その違和感をつなぐデザインの力にも注目である。
コロナ禍で高まったサウナ×ローカルの魅力、REBUILD SAUNA

一般社団法人 日本サウナ・温冷浴総合研究所によれば、サウナ愛好家の数は2020年から2021年の間に500万人減っている。三密空間のサウナはコロナ禍と当然相性が悪かったのだ。しかし、サウナ愛好家の熱はその分減ったかといえばそうではない。コロナ禍は、地方のサウナへと目を向けさせるきっかけになったのだ。例えば、REBUILD SAUNA。
大分県豊後大野市尾平鉱山。googlemapで見てみると周りになにも建物がないほどの場所にこのサウナはある。本来捨てられるはずの廃材を使って建てられたフィンランド式サウナは収容人数10人ほど。大自然の中でサウナを楽しみ、山の空気で外気浴。水風呂には沢から引いた水がたっぷり。サウナから始まるムーブメントは、地方にも及んでいる。
“ひとっ風呂”はコミュニティへ
今は、風呂のついている家に住んでいる人がほとんどだろう。平安時代、江戸時代には家に風呂がないために公衆浴場が盛んだった。現代の公衆浴場の”RETRO REVIVAL”を見てみると、風呂がないから公衆浴場に行くのではなく、その体験を得て、そこで語らい、SNSでつながっていくコミュニティに変容していることがよくわかる。チルで、ローカルで、レトロ可愛い、そして、あの「ととのう」感覚。公衆浴場は、体だけでなく、心も満足する”ひとっ風呂”に姿を変えていたのだ。